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Key-Eyeとは?
これからの九州の情報化推進に向け、ひとつの
「鍵(Key)」となる、あるいは新たな「視点(Eye)」
となる話題を提供していこうとする思いを込め、
「Key-Eye」というネーミングにさせていただきました。
【2026年度執筆者】
名古屋工業大学 名誉教授
岩田 彰 氏
2026年度「Key-Eyeあるメッセージ」は岩田様よりいただくこととなりました。ご自身における永年のAI関連の研究活動に基づいた全4回のAIをテーマとしたコラムをいただきます。第三回は、AIの爆発的進化をテーマとして寄稿いただきました。

AI防災協議会
理事長 臼田 裕一郎 氏
AIを活用した新たな防災の在り方について様々な検討、並びに産官学民による活動を展開されているAI防災協議会様より寄稿いただきました

「中川 奈津子 氏」
九州大学大学院 人文科学研究院 准教授
言語学、人文情報学を専門とされる中川氏より、デジタルデータ、デジタルツールを用いて人文学の各分野を研究する人文情報学のご紹介に関する寄稿をいただきました。

「森 弘国 氏」
株式会社マスナガ 代表取締役
機械・工具の商社を営みつつ、「作り手と使い手、想いと想いを繋ぐ」ことをコンセプトとした新たなものづくりの場の提供に向けた活動を展開しておられる森氏より寄稿いただきました。

「一般社団法人宮崎オープンシティ推進協議会(MOC)」
創発本部長 杉田 剛 氏
宮崎で、何か新しいことを始めたいと思った方が最初の一歩を踏み出せる場所として様々な活動を展開されている(一社)宮崎オープンシティ推進協議会様より寄稿いただきました。
最近、生成AI時代におけるメディアリテラシーというテーマでお話しをする機会が多かったせいもあり、今回は、改めて現在のデジタル社会におけるリテラシーの意味合いについて少し考えを巡らせたいと思います。
さて、みなさまご存じの通り、このリテラシーという言葉は、元来、文字を読み書きする能力、いわゆる識字能力を意味するものでした。文字によって情報を記録し、他者に伝え、そこから知識を得ることが社会生活の重要な基盤となっていた時代において、読み書きの能力は人が社会に参加するための基本的な条件でもあったのですが、その後、新聞やテレビなどのメディアが発達すると、単に情報を読み取るだけでなく、その内容を正しく理解し、評価するためのメディアリテラシーという考え方が広がっていくこととなりました。さらに、コンピュータやインターネットの普及に伴い、情報リテラシー、デジタルリテラシーといったキーワードへと変化し、現在ではAIリテラシーという概念も登場しています。
つまり、その時代時代の変化に応じ、リテラシー自体も絶えずその内容が変化、進展してきているのです。ただ、このリテラシーの変化は、単に必要な知識や技術が増えてきたことに伴うもの、という観点だけで捉えていくと、実はその本質を見誤ってしまうのではないだろうかと個人的には思うところです。重要なのは、時代の変化に伴い、人は何を理解し、何を判断し、何に価値を求めるように変化していったのか、つまりは人の思考の在り方自体の変化、ということが何よりもリテラシー変化の根底にあるものではないかと。
さて、そもそも人の思考というのは、どのようなものなのでしょう。我々は日常生活の中で、様々な情報を得て、それを過去の経験や知識と結びつけながら、物事を理解し、判断しています。しかし、同じ情報を得たとしても、すべての人が同じ結論に至るわけではありません。人それぞれが有する経験や知識、価値観、さらには何を重要と考えるのかという視点が異なるからです。つまり、人間の思考とは、情報を単純に処理して答えを導き出すだけの行為ではなく、自らが有する様々な認識の枠組みを通じて、物事に意味を与えていく行為ともいえるのではないでしょうか。
要するに、人の思考には多様性があるということです。ただ、この多様性とは、必ずしも他者との違いだけを意味するものではありません。一人の人間の中にも、物事を捉える視点、過程の違い、さらには考え方自体のアプローチの違い等が存在し得るからです。ある事象を一つの側面からだけでなく、別の立場や条件から捉え直すことによって、それまで気づかなかった意味や可能性を見いだすことができます。このような思考の領域を広げていくことこそが、新たな価値を見いだしていく源でもあると私は思っています。リテラシーの変化というのも、この思考の領域というものを時代の変化にいかに対応させていくべきか、という観点から拡張してきたものではないでしょうか。つまり、リテラシーとは、時代時代に応じた的確な能力の重要性だけを述べていたのではなく、その能力に基づき、我々は何を見いだしていくべきなのか、ということを根底として問うていたのではないかと。
そういった中、大量のデータ、情報が飛び交う現在のデジタル社会において、我々の思考の多様性は、一昔前のアナログ時代より硬直化しているのではないか、という指摘もよく耳にすることです。つまり、情報量が少なかったことが結果的に思考に費やす時間を十分に保つことへとつながっていた、ということです。デジタル社会進展の歩み自体を今更止めることはできないでしょう。では、その結果増え続ける情報量に対し、私たちは変化していくリテラシーの趣旨も十分に捉えながら、思考の多様性というものといかに向き合っていけばよいのでしょうか。私は、ここにも生成AIの役割があるのだと思っています。
先ほど、リテラシーとは単なる知識や能力の習得ではなく、時代の変化に応じ、人の思考の領域を拡張させていくことに深く関わるものではないか、と述べました。そう考えると、リテラシーとは、人が多様な思考を通じて新たな価値を生み出していくために、何を理解し、どのような視点を持つべきなのか、そういった方向性を示してくれる一つの道標のような存在であるといっても良いのかもしれません。しかし、膨大な情報が絶えず生み出され、社会の仕組みや価値観までもが急速に変化していく現在において、その道標を頼りに、人間が自らの力だけで思考の領域を広げ続けていくことは、決して容易なことではないと考えられます。
そこで重要になるのが、生成AIとの適切な役割分担という考え方です。生成AIは、膨大な情報を整理し、様々な観点から分析を行い、我々が思いつかなかったような視点や可能性を提示してくれます。これまで人間が多くの時間を費やしていた情報の収集や整理を支援してもらうことで、我々は、その情報から何を考え、何を見いだすべきなのかという、より本質的な思考に時間を向けることができるようになります。さらに、自分自身の考え方に対して、生成AIから異なる解釈や新たな問いを提示してもらうことによって、それまで気づかなかった思考の可能性を見いだすこともできるはずです。
ただし、生成AIが提示する回答や考え方を、そのまま受け入れるのであれば、それは役割分担ということにはならないと思います。デジタル社会に散在する膨大な情報量をもとに生成AIが提示する様々な見解を手がかりとしながら、人がリテラシーと向き合いつつ、自ら新たな問いを立て、考えを深め、そして判断していく、つまり、生成AIとの関わりを通じて自らの思考を進化させていくことこそが適切な役割分担の基本といえるのではないでしょうか。この点に関しては、もうひとつ大事な視点があると思われます。社会の在り方が変われば、人が抱える問題も変わり、そこで求められる問いや判断の基準、さらには価値の意味合いそのものも変化していくはずです。つまり、「何を問い、何を考え、何に価値を見いだすべきなのか」といった思考プロセスの内容に関しても、それは常に変化し続ける、という観点です。思考とは元来、多様性を有するものである、と同時に、そのプロセス自体も一定の形に固定されるものでもないのではないでしょうか。
ドイツの哲学者ヘーゲルは、その著書『哲学史講義』の中で、「過去の思想に現代の問いへの答えをそのまま求めることはできない」、という趣旨の考え方を示しています。私は、リテラシーの本質を考えるに際し、この考え方には非常に重要な示唆があるように思います。時代が変われば、我々が求める答えだけでなく、そもそも何を問うべきなのかという思考の在り方そのものも変化し、かつて正しいとされていた知識や常識、さらには社会において必要とされていた能力も、決して普遍的、絶対的なものとはなりません。こういった変化は、我々の思考形成の変化も促していくこととなりますが、その際、変化の方向性を適正に示す道標としてのリテラシー自体も、その姿を変えていきます。ただし、このリテラシーの姿というものは、時代の変化に応じて自動的に変わっていくものではないと考えます。つまり、リテラシーというものを単なる能力習得という観点だけでなく、自らの思考の可能性を広げ、新たな価値を見いだしていくための道標的な存在として捉え、その内容を我々自身が絶えず問い直していく行為があるからこそ、リテラシーそのものも変化し続けているのではないでしょうか。
今後とも進展していくAI社会において、我々はリテラシーというものをどのように理解し、どのように身につけ、そしてどのように進化させていくべきなのか、その問いを持ち続けること自体が、これからの時代に求められるリテラシーと向き合っていくための一つの重要な視点なのかもしれませんね。
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